もしもの歴史・・・

新しいアイテムを製作する際、成り立ちはどうだったのか?何故そういう形状になったのか?などなど歴史から調べて行く事が多々あるんですが、時々調べているうちに脱線して「歴史的にもしも○○だったら」なんて事を考えるとたまらなく面白くなる時があって、新しいアイテムの製作に少々時間がかかってしまう時があります・・・(笑)

今回、調べていたのは1848年に始まったカリフォルニアのゴールドラッシュのころ。

48年にゴールドラッシュが始り、1850年にカリフォルニアが正式にアメリカの州となり、それから3年後の1953年に、リーバイ・ストラウスが「リーバイストラウス社」をサンフランシスコに設立しています。

設立当初、リーバイスはキャンパス地を使って港で働く労働者向けのパンツを製造・販売していて、ジーンズの原型となるものが誕生するのは1870年ともう少し後の話になるんですが、実はリーバイストラウス社が設立される3年前、一人の日本人がゴールドラッシュに沸くサンフランシスコに居たのをご存知でしょうか?

その人物とは、本名・中濱 萬次郎こと「ジョン万次郎」です。(以下ジョン万次郎)

ジョン万次郎は1841年、漁に出て嵐に遭い遭難、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されます。

本人の意向もあって、そのまま彼はアメリカに渡り、救助してくれた船の船長・ホイットフィールドの養子になって、アメリカで英語・数学・測量・航海術・造船技術などの学業を修め、1846年からの数年間、ジョン万次郎は捕鯨船員としての日々を送ります。

その後、1850年に帰国を決意し、帰国資金を作るため、ジョン万次郎はゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへと渡り、金の採掘で得た$600を元手に彼は帰国を果たすという訳なんですが、もし、ジョン万次郎が帰国を決意するのがあと数年遅かったなら、彼は唯一日本人としてゴールドラッシュを経験した人物であると共に、初めてリーバイスを穿いた日本人だったかも知れないという事です。

現在、初めてジーンズを穿いた日本人は官僚で実業家だった白洲次郎氏と言われています。
(リーバイス501XX)

しかし、もしかしたら白洲次郎氏が穿く以前に、ジョン万次郎はリーバイスが製造するパンツを穿いていたかも知れないと思うと、また今とは違った歴史が刻まれていたのかも知れませんね♪

と・・・そんな事を考え出すと歴史好きとしてはもっと長く時間がかかってしまいそうなので、ちゃんと製作の方に戻りたいと思います・・・

・1851年ごろのサンフランシスコ



・リーバイス



・晩年のジョン万次郎



・ジーンズを穿く白洲次郎