鰐石の重ね岩にて・・・
買い物帰りに寄った「鰐石の重ね岩」にて。
学生の頃は友人がこの辺りに住んでいたのでよく遊びに来たもんなんですが、ちゃんと寄ったのは20年ぶりくらいになるかな?(笑)
今でこそ静かでゆっくりとした時間が流れるこの鰐石の重ね岩のある場所は、かつては山口への東南の入り口であり、陸路で往来する人々や、岩の下を流れる椹野川を利用した水路を行きかう舟で賑わった場所です。
少々お堅い話になるんですが、約600年前、中国・明の外交官であり詩人・文人でもあった「趙秩(ちょうちつ」という人が山口に滞在していて、「梅岩昌霖(ばいがんしょうりん)」という人が山口を去る際に趙秩は鰐岩の辺りまで見送りに出て、別れの詩を送っています。
(当時、趙秩は倭寇禁絶と日中関係回復のため来日し、山口で滞在していました。)
よっぽどこの場所に思いがあったのか、後にこの趙秩という人は自身の雅号を「鰐川」と称してます。
とまぁ、こういった逸話がある場所なんですけど(笑)個人的には鰐石の重ね岩と、岩を背にしてま~~っ直ぐ伸びる一本の道の先に見える「鴻ノ峰(こうのみね)」の山が好きなんですよー♪
山頂には高嶺城跡という山城跡があるんですけど、恐らく高い建物も無かったむか~しむかしは、この鰐石からは何の視界を遮るものもなく、キレイに山と城が見えてたんだろうなーと思いを馳せてみました♪
学生の頃は友人がこの辺りに住んでいたのでよく遊びに来たもんなんですが、ちゃんと寄ったのは20年ぶりくらいになるかな?(笑)
今でこそ静かでゆっくりとした時間が流れるこの鰐石の重ね岩のある場所は、かつては山口への東南の入り口であり、陸路で往来する人々や、岩の下を流れる椹野川を利用した水路を行きかう舟で賑わった場所です。
少々お堅い話になるんですが、約600年前、中国・明の外交官であり詩人・文人でもあった「趙秩(ちょうちつ」という人が山口に滞在していて、「梅岩昌霖(ばいがんしょうりん)」という人が山口を去る際に趙秩は鰐岩の辺りまで見送りに出て、別れの詩を送っています。
(当時、趙秩は倭寇禁絶と日中関係回復のため来日し、山口で滞在していました。)
よっぽどこの場所に思いがあったのか、後にこの趙秩という人は自身の雅号を「鰐川」と称してます。
とまぁ、こういった逸話がある場所なんですけど(笑)個人的には鰐石の重ね岩と、岩を背にしてま~~っ直ぐ伸びる一本の道の先に見える「鴻ノ峰(こうのみね)」の山が好きなんですよー♪
山頂には高嶺城跡という山城跡があるんですけど、恐らく高い建物も無かったむか~しむかしは、この鰐石からは何の視界を遮るものもなく、キレイに山と城が見えてたんだろうなーと思いを馳せてみました♪